前回の鞆の浦で取材した「太田家住宅」で聞いたエピソードをもう一つ。「太田家住宅」の前身は中村家。中村吉兵衛という薬法に精通した商人が、江戸初期の萬治2年(1659)に藩に願い出て、家伝の薬法で「焼酎製名酒」の製造販売の独占権を獲得。
その酒は「保命酒」という名で、血行を良くするということで評判を呼び、財を成す。その財で今に伝わる屋敷を造ったらしい。明治になり、独占権を失った中村家は衰退、現存する屋敷を太田家が買い上げたことから「太田家住宅」という呼び名になったというわけです。
それはともかく、江戸時代にこの屋敷は保命酒の蔵元でもあり、主の住み処でもあり、旅籠として旅人に開放していたということ。
屋敷に客人が来るのは真夜中、つまり満潮時に、屋敷に船でやって来るというから面白い。当時の鞆の浦の港近くの屋敷には潮の満ち引きに合わせて船が出入りしたようで、潮待ちの人々が屋敷に宿泊していたというのだ。
そして、主は彼らを座敷に迎え煎茶・抹茶・紺茶でもてなす。その間に、客人のお茶の作法を見て、30ある部屋を客人の教養レベルに応じて振り分けたという。つまり、茶の作法を知っている客人はグレードの高い部屋、そうでない客人は質素な部屋に回されたという。宿の主が客人を選ぶとは!今では考えられませんね!大問題になりそうです。
幕末に三条実美が禁門の変によって西に追われた「七卿落ち」の時に逗留したというから、かなりのステータスがあったのだろう。
そして、もう一つ面白かったのが、座敷に上がる前におじけついて帰って行く客人もいたという話。というのは、下の写真の通り、屋敷の中が見えるように窓が開けられており、格式の高い部屋や調度品を見ておじけつく客人、それでも意を決して入場しても、主の吟味がまっているわけだ。
考えてみれば、現在でも高級料亭、祇園の茶屋、高級クラブ、ミシュランの三つ星レストランや最上級のホテルなどもそれに近い仕組みかもしれませんね。一見さんお断りしかり、紹介してもらってステータスのある場所に行ったとしても、雰囲気に合うファッションや作法を知らないと面白くありませんし、お金を貯めて三つ星レストランに行ったとしても、マナーやワインの目利きや食の背景を含めてかなりの教養がないと楽しくないですよね。
ですが、江戸時代と今が違うのは一見さんお断りの店や会員制のクラブは別にして、サービスを提供する側は客を選べません。お金さえ払えば、よほどのことがない限り、客はサービスを受けることができます。江戸時代には露骨にそれが出来た。しかし、それもサービスを提供する側も遊び心をもって、そういうことをしていたような気がします。お客様も遊ぶが、お客様をもてなす側も遊ぶ〜異論もありますが、私は粋な江戸の遊び心だなと思いました。
もてなす側も、もてなす側も作法、教養、感性が合ってこそ楽しい時間を過ごせるというもの。営業活動も同じではないでしょうか。トップセールスはお客様の教養・感性を感じ取って、自分も学び教養を身に付け、お客様との楽しい雰囲気を醸し出せるスキルを持っています。
そして、これはタブーですが、あまりにも自分の感性に合わない顧客、自分が提案している商品・サービスに対してあまりにも礼儀を欠き、リスペクトのない顧客にはお断りをする勇気も持っている。そんな資質を有しているのが一流の営業パーソンではないではないでしょうか。時には“ノー”と言える、人間としての尊厳も持っている人が、お客様からの支持を集めるものです。
とは言いましたが!今ではお客様にお断りをいれるという行為は大問題になりそうですで、難しいでしょうね。が、商品・サービスを提供する側が遊び心を持ってお客様を選ぶ、お客様も選ばれるように遊び、勉強して成長する・・・そんな粋な関係があってもいいな〜と思った一日でした。