東京オリンピックの国立競技場問題の話題に言及するには、遅いという感じですが、どうしても我慢ならぬのは「コンパクト・オリンピック」という提唱テーマについて、マスコミも誰もあまり大騒ぎしないことです。
国立競技場の建築予算、3000億円。この金額が高いかどうかは、マスコミが大騒ぎするまでは、私を含めて誰も判断できなかったような気がします。
ですが、東京が選ばれた理由が「コンパクト・オリンピック」ということにあるのであれば、
※東京オリンピックの掲げる「コンパクト・オリンピック」というのは、競技場と選手村、競技場間の移動が近く、コンパクトという意味ですが、それでも予算もコンパクトでないと!という意味も込めて!!!
●少なくとも歴史的なオリンピックの総予算を下回らないといけない。
●既存の施設をリノベーションする基本は遵守しなければならない。
●ということは、国立競技場は壊さずに、リノベーションで良かったのでは?
また、拡大解釈するならば、
●コンパクト = 環境にやさしい建築資材を使用する
●エコ調和で持続的発展を視野に入れた建築コンセプトを設定する
●つまり、100年は維持できる競技場
●太陽光発電や雨水利用など、環境にやさしい建築
などを視野に入れて、ランニングコストも最小限に抑えることができる『21世紀のエコ競技場』を世界に示すべきではなかっただろうか?
さらに、8万人収容の施設というのは「コンパクト」に反する・・・これはIOCの遵守項目だから、仕方ないですが…。
さらに、さらにです!8万人が移動するということは、駅の規模、移動する導線なども何も解決していない点にも驚きます。
周辺の駅はどれも規模が小さく、JRの千駄ヶ谷駅、信濃町駅、都営地下鉄の大江戸線、国立競技場駅などに分散しても大変な混雑が予想されます。
この問題点は、100年構想で創られたベルリンの競技場と比較すると、さらに明らかになります。
1936年のベルリンオリンピックに使用された競技場は、2015年現在も健在であると同時に、建設当時からも駅の規模や競技場への道路を競技場の収容人員に合わせて、移動可能なスケールで構想・建築されたと聞きます。
ナチスドイツのおかした歴史的愚行は、絶対に許されるものではありませんが、いざ都市構想やスポーツに対するヴィジョンに関しては、世界最高峰の頭脳が集まっていたのですね。
前回の東京オリンピックの開催は、1964年。それからわずか50年で、当時の国家の威信をかけて一大競技場を全部解体して、ゼロベースで造る必要があったのでしょうか?
「金があっても知恵がなかったバブル時代」から、「金がないのに、さらに知恵も消え失せた日本」へと移り変わった今、100年後に向けた、持続性のある都市とスポーツ、文化はどうあるべきかを考えるべきでは内でしょうか?
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