久しぶりに休みが取れたので(というより、自営業なので勝手に休日)、近江八幡の「八幡堀」を中心に、ゆるりと散策してきました。

朝ドラ「あさが来た」嫁に行く風景はここかな?!

朝ドラ「あさが来た」嫁に行く風景はここかな?!

何故、近江八幡に行ったかといえば、今熱心に観ている朝ドラ「あさが来た」で、主人公の姉・はつが大阪へと嫁ぐときのシーンの舞台を拝見したくなったからなのです。

八幡堀のエントランスにある案内所には、「あさが来た」のポスターが貼ってありましたよ!

八幡堀のエントランスにある案内所には、「あさが来た」のポスターが貼ってありましたよ!

朝ドラ「あさが来た」は、江戸・明治の女性アントレプレナー(女性起業家)で、大同生命や日本女子大を創設した広岡 浅子さん(1849年(嘉永2年9月3日) – 1919年(大正8年))が主人公ということで、興味津々。で、毎日できるだけ見ていますが、採点は70点!・・・今のところ。

あさの旦那・遊び人の新次郎(玉木宏)の遊び人ぶりをいたく気に入っております。こうした粋な遊び人がたいそう居たからこそ、浪花の浄瑠璃、落語、浪曲、歌舞伎が伝統になったのであります。

マイナス30点は、主人公のあさが少々漫画チック。ストーリーも少々ふざけすぎ・・・でもこれから、炭鉱で荒くれ者と正面からぶつかり合うそうですから、ますます面白くなりそう!

と、いう話は置いておきまして、JR近江八幡駅からとぼとぼ歩くこと30分あまり・・・何も調べずに行ったので、その昔町は駅の前と勝手に思い込んでおりましたのです、はい!

で、歩いているとトンネル効果と申しましょうか?21世紀の整備された街並みから、いかに江戸や明治期にタイムスリップできるか?!と、期待が膨らんでいくので、結構ワクワクしながら歩いておりました。

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すると、「おうみ」という看板が!私は何と姓を「近江(おうみ)」と言いまして、こんなに派手に私を出迎えてくれているのか!と感動しきり(^_^)

でも、私の祖先は四国・愛媛の土居町の出身〜何故、近江という姓を持っているのかの謎は解けておりませんです。

またまた、それはともかく、さらに目標に向かった歩いて行くと、ほどなく町屋らしき建物が見え始めたので、そこが八幡堀の入り口あたりに違いないとアプローチ。通りを覗くと、近江商人のゆかりの場所であるという看板や商家風の家並みが見えてきて、よしよし、喧噪の21世紀からしばし離れ行くに違いないとばかりに、心がウキウキしてまいりました。


道を入っていくと、やはり商家の家並みが!

いや〜ホンマ!こういう家並みの通りを歩いているだけで、ホッとしますな〜。でも、しきたりや商人のしつけ・掟、主を長として、番頭、手代、丁稚など、超ピラミッド型組織で、過酷な毎日だったのですかね。私たち現代人は、昔の話を美化する習慣があるので、要注意ですが・・・私もそうだすが。

でもこうやって昔の風情が保存されているのは、近江八幡市民の心意気!だと感情移入しながら、昔町の通りの向こうに本日のゴールである堀と水の風景が視界に入ってきました!Oh Wonderful!と何故か、いんぐりっしゅで感嘆!

まったり、ゆらりと川辺を端から端まで散歩。のどかだわ〜。

歩きながら、iPhoneでぱちりとやりながら、エネルギーを少し発散すれば、小腹が減る。そこで、近江牛の弁当とミンチカツを買って、川辺でランチ。え〜一日や!

で、たったそれだけの一日でしたが、何の事前学習もせずに、ぶらぶらと歩くのも乙なものでした。

最後に印象に残った風景を1枚・・・何と、鳥居の向こうに協会風の建物が。どうもカトリック系の学校跡らしきと勝手に判断・・・神社とキリスト教のコントラスト。だから日本は凄い!熊野古道でも拝見したが、日本人の墓石群の中に、十字架のお墓も混在。来る者は拒まず、共に奉るという慈悲深い精神を垣間見たような気がしました。
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何といっても、ハロウィーンと七五三、クリスマスと初詣を何の疑問も感じずに、年中行事にしてしまい、表だって異なる宗教の人たちとの争いも起こらない・・・という不思議国家ニッポンなのですから。これ皮肉ではなしに、ほかの国も見習うべき、懐の深さだと思います。

まだ、行ったことのない方は、ぜひ近江八幡へ!イチ押し、サン押しです!

PS:事後学習
こうした近江八幡の堀の風景は、昔のインフラをそのままに引き継いだようではないようです。
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近江八幡観光物産協会のサイトより
http://www.omi8.com/annai/hachimanbori_info.htm
高度成長期の経済偏重の産業振興のなれの果てで、昭和40年になると、八幡堀に堆積したヘドロは1.8メートル、総量50,000立方メートル、蚊やハエの発生源や市民による不法投棄の場所と成り果てていたようですよ。

そこで、地元自治会は衛生的観点から署名を添え駐車場や公園等への改修要望を市に陳情しましたが、滋賀県はヘドロの川を埋めててる計画も立てていた・・・何と市民の考えていることと、行政の方針は真っ向対立!・・・八幡堀は風前の灯火状態になっていたそうです。

遂に、昭和47年に近江八幡青年会議所が「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」を合い言葉に毎週日曜に清掃を始め、定例化。

最初は、からかう市民もあったそうですが、徐々に市民たちに輪が広がり、清掃用に使う、自社のダンプやユンボを貸出する建設業者なども現れ、ついに昭和50年9月になり、ついに滋賀県は進みかけけていた改修工事を中止、国にその予算を返上!

以来40年、「八幡堀を守る会」「地元自治会」「観光物産協会」「観光ボランティアガイド協会」そして市民が、清掃活動を続け、「等の各種団体が清掃活動を遂には、平成18年(2006)には、文科省の重要文化的景観に剪定されたといいます。

これは凄い!ですね。やはり、まちづくりというのは、ハコモノではなく、住民を中心とする日々の活動の継続と伝統を守ろうという情熱、そして知恵だと、改めて再認識しました。

ですから、事前 あるいは 事後は別にして、遊んで学ぶ、学んで遊ぶ旅は、やめられまへんワ!

■近江八幡 散策マップ

■アクセス:近江八幡観光物産協会のアクセスページを参照ください。

■ブログ執筆者 近江 業務案内

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