50歳を超えて、ラグビーの次は何にしようかな?!・・・思い悩んだ結果、選んだのは何とラテンダンスである「SALSA!(サルサ)」!
若い人とオヤジの違いは何か?!甘いも粋も知り尽くしたものだからこそ、運動スキルと反射神経が落ちだ分だけ、その歴史を調べたり、独自の視点で面白おかしく学んだノウハウを公開します。
サルサの音楽のルーツは“キューバ” ー そしてプエルトリコもその形成に深く関わっているがサルサ生誕の地は“ニューヨーク”である。
異論も多いが、ルーツと誕生の地は別である。
■カリブ海の真珠といわれるキューバが発見されたのは1492年
発見したのはスペイン人コロンブス。カリブ海の島々を植民地化したスペイン人が科した過酷な労働と疫病で先住民は激減し、変わりの労働力として輸入されたのが、現在のマリ、セネガル、コンゴ民主共和国といったアフリカ諸国の人々である。
■そこから約4世紀にわたる植民統治が続き
植民地から連れて来られたアフリカの人たちは、労働の合間に祖国の太鼓を叩き、歌い・踊り・神に祈った。
■そして、19世紀後半、ハバネラが生まれる
スペイン人の文化と混じり合い、オペラ「カルメン」などの使われた舞踏曲にアフリカのリズムが加わって、ハバネラが生まれ、さらに踊りやすいダンソン、ルンバとソンへと続く。
■1920年代、ソンをベースとする「南京豆売り」がニューヨークで大ヒット
サルサのルーツは世界へ広まったが、当時の宣伝を請け負った業者がソンをルンバという名前に変えて海外に売り込んでしまったため、キューバ人は海外でルンバという名のソンを聞くという奇妙なことが起きている。
■1960年代後半、サルサが登場!
時は移り、1960年代までキューバ音楽は発展。マンボ、チャチャチャ、パチャンガが流行していき、遂に1960年代後半に“サルサ”という音楽ジャンルが登場する。
■サルサ登場の背景
1959年、キューバ革命が起きるとキューバの最新トレンドが入らなくなったが、ニューヨークではキューバ音楽への需要が旺盛、それに応えたのがプエルトリコ人だった。
彼らを中心とするニューヨークのラティーノは様々なキューバ音楽とジャズやロックやソウル、キューバの近隣のラテンのリズムをも取り入れながら、サルサという芽を育んでいった。
そして、“サルサ”という定義を世界に広めたのはファニア・オール・スターズ。1970年代、彼らはショーの間に「サルサ!」と叫んではミュージシャンを紹介したことが、この“ソース”という意味のスペイン語=「サルサ」というジャンルが認知されるようになった。
■そして、現在
モダン・サルサの世界首都ニューヨークを中心に、マイアミ、ロサンゼルス、ロンドン、パリ、ミラノ、そして韓国、日本をはじめ世界中のラテンアメリカ人がいるところ、サルサシーンは発展を続けている。
もちろんルーツの地・キューバも逆に世界の音楽を融合し、新たなミュージックシーンを形成し始めている。ラテンアメリカで料理の調味料の総称でもあるサルサ(salsa)ー その国の文化、ライフスタイル、音楽トレンドをブレンドしながら、進化するダンス・ミュージックの未来を思うと、たまらなくワクワクする。
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