2012年1月19日。石見銀山の銀山地区の「龍源寺間歩」の坑道に潜入!
★龍源寺間歩とは
江戸時代の中頃に開発された代官所直営の坑道。大久保間歩に次いで長く、約600mあり、そのうち273mが一般に公開されている。このほかにも石見銀 山には500を越える間歩があり、近隣には「釜屋間歩」、「新切間歩」、「大久保間歩」、「福神山間歩」、「本間歩」、「新横相間歩」の7つの間歩が国の 史跡として登録されている。

龍源寺間歩は年中、入場することのできる坑道で観光用に安全面も整備されているので安心。初めての体験にワクワクしながら、中に入ると細い坑道があ ちこちに続いている。ところどころ、かがまないと進めないような場所もあり、探検隊の一員になったような気分。壁面 には当時のノミの跡がそのまま残り、排水のため垂直に100mも掘られた竪坑も見ることができ、リアルでした。

坑道の最終ゾーンには「石見銀山絵巻」を引用した当時の労働の様子が展示されています。鉱石を掘る銀掘(かなほり)、鉱石を運搬する「柄山負(がら やまおい)」、留木を組む「留山師(とめやまし)」、使い走りの「手子(てご)」、坑内で湧き出た水を運ぶ「水替え」たちの分業制だったというから近代 的。ほかに坑内に風を送って通気を良くする働き手もいたといいます。

銀掘たちは幕府から手厚くされ、裕福な生活をしていたそうだが、「日の全く当たらない、酸素の薄い場所での過酷な労働。30歳を迎えると、鯛など豪 華な料理と酒で祝った。」らしい。そう、過酷な労働と不健康な坑道内で作業で、30歳を超えて生きる働き手は少なかったということです。

太く短い人生を歩んだ銀を掘る男たちの生きた証が石見銀山には残っていました。

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