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雨のちの夜の「ひがし茶屋街」

上記の写真の撮影 Photographer 原田康雄 株式会社グライド 

前回は、浪花の新世界から飛田新地の風情を紹介しましたが、今回は小京都・金沢。どうも小京都という言葉には、金沢人は疑問に思っていたようで、どうも小京都・全国50都市が集まる「全国京都会議」から脱会したようですね。

京都は公家文化、金沢は武家文化の違いがあるからだという。

それはともかく、この7月に金沢に取材旅行に行った時の風景も少し紹介。『弁当忘れても傘忘れるな』という金沢の言い伝えがあるように、当時も小雨まじり。

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金沢には、江戸の風景をとどめる三大茶屋街というのがある・・・ひがし茶屋街、にし茶屋街、主計町(かずえまち)茶屋街だ。そのうち、主計町(かずえまち)茶屋街とひがし茶屋街は近くにあり、その2つに立ち寄った。

■主計町(かずえまち)茶屋街の風景

“かずえ”という名前の由来は、富田 主計 重家(とだ かずえ しげいえ)の上屋敷が江戸時代にあったことにちなむという。文化8年(1811)には家数42、大正5年の家数89・人数259あり、明治に入って遊郭となったらしい。
そう、やはり京都の公家文化と違い、やはり武家文化を礎に町が発展したことが早くも理解できる。

主計町(かずえまち)茶屋街は、浅野川沿いの西側に位置し、路地が狭く入り組んでいて、そこはまさに江戸から明治・大正の風景。

明治期から昭和戦前期にかけて栄えた町屋の風情に見せられた作家・五木寛之は1978年に主計町を舞台に新聞記者と少女との恋愛を描いた小説「浅の川暮色(あさのがわぼしょく)」を出している。尾張町2丁目の一部だったが、1999年10月1日に全国で初めて旧町名が復活し正式に主計町となったらしい。地元住民の金沢文化への想いは素晴らしい!と思った。

■ひがし茶屋街の風景

主計町(かずえまち)茶屋街より浅野川を渡って東側。その名の通りの「ひがし茶屋街」がある。雨のひがし茶屋街。文政3年(1820)に、犀川西岸の「にし茶屋街」とともに公許され、発展。
街路に面して、一階に出格子を構え、二階の建ちを高くして座敷を設ける「茶屋建築」が連なり、京都・祇園の茶屋町と並び、江戸時代後期から明治初期にかけての茶屋建築が往時のまま残されいた。

茶屋街に入ると、何故かホッとする。茶屋は休憩所の一形態だが、前回紹介した飛田新地は「色茶屋」。今回紹介する金沢は「料理茶屋」だろうか。同じ茶屋という形態でもこんなにも違うのか!・・・両方を歩き比べて、愕然!というよりも、誠に面白く、幾度でも足を運び、さらに比較検討すれば、知的好奇心がくすぐられるに違いない!と思った。

■金沢は知的文化の情緒
建物や町並みに気品が漂い、舞踊の「立方(たちかた)」、長唄や三味線などを演奏する「地方(じかた)」を聞きながら,料亭料理を楽しむという花街本来のルーツ「芸妓文化」に造詣が深くないと、面白いこともなんもないという感じだ。

■飛田新地は、色街文化の情緒
三味線・長唄・・・そんな堅いこと言いなさんな!芸事ができんでも、男は度胸!女は愛嬌!一晩だけでも精一杯愛し合うことに値打ちがあるんや!・・・という感じでしょうか?でも設立当初は、たぶん三味線などで遊んでいたんでしょうね。

そのどちらが良いか?!・・・軍配は上げられず、引き分けというところでしょうか?!いつもは家庭料理で、年に1度は豪華フレンチ料理や会席料理を食べたい時というのが通常の感覚。そういう方は生涯に一度は、花街で遊びたい(でも、多くは一見さん、お断り。なんでや!?)、逆に毎日、贅沢な方はたまには風俗で気楽に遊びたいと思うのかもしれません。

いずれにしても、日本にそう多く、過去のまま残っている茶屋街はそうないので、地元の人も自治体も頑張って次代へその風景・情緒を受け継いでいって欲しいと思います。

茶屋町・・・色街であろうが、花街であろうが、その空間に入ると、何故かホッとする・・・それは日本人の心に残るDNAに響くからなのでしょうね。きっと心のふるさとが茶屋街に凝縮されているのに違いないのですね。

PS1:ほ〜なるほど!と思ったこと。
それは、木虫籠(キムスコ)と呼ばれる格子戸。

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金沢の町家の特徴で一間幅(1.8m)に70本以上の竪子(縦型の組子)が入り、外側の見付が広くなるように配置。そうすることで家の内側から外はよく見えるのに、外から内が見えづらくなるようにデザインされている。

また、インドのベンガル地方の赤色顔料を用いたことから「弁柄(紅殻)格子」とも言われるそうだ。ガイドの話を聞いて目から鱗!知っている人も多いと思うが、私は初めて聞いて、日本の巧みに感服した次第。

PS2:金沢の夜のおすすめスポット!

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新天地商店街から中央美食街につながる一体のエリア。立ち飲みやカウンターだけの小料理屋&バーに、多国籍料理の店が居並ぶ。B級グルメのメッカ!どのお店も満員ですが、散策しているうちに数席空くこともあるので、その瞬間に席をさっと占領するのがコツだどか?

私は、小さな屋台風のお店がどこも満員だったので、チェコ料理屋さんに入店。オーナーによれば、日本でチェコ料理屋は名古屋、東京、そしてここ金沢にしかないとのこと。偶然に希少価値の高い店に入れて、世は満足じゃの時間を過ごすことができた。

写真左は、牛肉のパプリカシチューに「クネドリーキ」というチェコ独特の茹でたパンを添えた料理名「「グラーシュ」。右は、チェコのカクテルは酔っ払っていたので記憶が定かではないが、たぶん「ユリスカ」だったと思う。こちらの酒だったと思う・・・
お店の名前は、チェコ料理店「DUB(ドゥブ)」

前回の大阪・浪花の茶屋街のコラムは

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